会让对方更火大的“道歉法”? 从闹别扭到重归于好的方法
  酷いことをされて一応は謝られたけれど、なんだか腑に落ちない。逆に相手に嫌な思いをさせてしまい謝ったけれど、一向に怒りが収まる気配がない。だったらどんな謝罪なら受け入れられるのか、受け入れてもらえるのか。それが分からないままだから、場を収めるためにとりあえず「ごめんなさい」を連発してしまう……。こういった経験はおそらく、誰にでもあるだろう。 如果被他人捉弄,那人也道歉了,却总感觉会很不畅
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2018-05-03

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酷いことをされて一応は謝られたけれど、なんだか腑に落ちない。逆に相手に嫌な思いをさせてしまい謝ったけれど、一向に怒りが収まる気配がない。だったらどんな謝罪なら受け入れられるのか、受け入れてもらえるのか。それが分からないままだから、場を収めるためにとりあえず「ごめんなさい」を連発してしまう……。こういった経験はおそらく、誰にでもあるだろう。

如果被他人捉弄,那人也道歉了,却总感觉会很不畅快。如果用了让对方讨厌的方式进行道歉反而会让对方更加愤怒。到底怎么样的道歉会被人接受、才能让人接受呢?就是因为不知道这个问题的答案,为了控制住场面才会想着先多说几句“对不起”……相信这种经历大家都有过吧。

 

心理学者としてカウンセリングの場に立ち会い、世界で300万部以上を売り上げた『怒りのダンス』著者のハリエット・レーナ―さんによる『こじれた仲の処方箋』(ハリエット・レーナー:著、吉井智津:訳/東洋館出版社)は、その「謝り謝られること」を通して、相手とのわだかまりを解く方法について考える1冊になっている。

作为心理学家也作为专业咨询师,全世界畅销300万本以上的《愤怒之舞》的作者哈丽特·勒纳发行的新书了《闹别扭的药方》。在这本书中,哈丽特通过解释“道歉与被道歉”,详细地介绍了如何与吵架的人消除芥蒂的方法。

 

ハリエットさんは謝ることと、男女問わずそれができない人々について20年以上研究を続けてきたという。彼女は第一章の冒頭で

せっかくの「ごめんなさい」の言葉も、誠実さが伴っていないときや、続けるのがつらい会話を終わらせる方法として安易に使われるとき、あるいは正当化や言い訳の手段として使われるときには、力を発揮しないということを伝えたいのだ

と語っている。では、どんなものが相手をイラつかせる「力を発揮しない謝り方」なのか。ハリエットさんはそれらを、

哈丽特不分性别地针对不擅长道歉的人做了20年以上的研究,她在这本书中说到:

我想告诉大家一件事,道歉这回事,如果是不是伴随着诚实的心情的话,如果只是把道歉当作结束让人难受会话的一种便利手段的话,或者只是作为使自己行为正当化的借口的时候,是不会发挥它原有的作用的。

那么,什么样的道歉是“会让对方更加火大的道歉方法”呢?哈丽特总结出了以下几种模式:

 

言い訳の畳みかけ

不断堆积借口

→謝罪を伝えたとしても、そのあとにすぐ「でも」と続けてしまうと、せっかくの誠意が帳消しになってしまう。

→在道歉之后立马跟着“但是……”,专门的诚意也会被抵消掉。

 

お気持ちに気づかなかったアピール

强调没有注意到对方心情

→「ごめんなさい、あなたがそんなふうに思っていたなんて」という言い方は、謝っているようで謝っていない。

→“不好意思,我没有察觉到原来你是这样想的”这种说法听起来又像道歉又不像道歉。

 

自分は悪くない可能性を含ませる

也有可能不是自己不好

→「もしも私が……だったのなら、ごめんなさい」という言い方は、相手を見下した印象を与えてしまうこともある。

→“如果是我做了……的话,就对不起了”这样听起来给人一种瞧不起对方的感觉。

 

謝罪の対象がずれている

道歉对象微妙对不上

→「私の言ったことで、怒らせてしまって申し訳なかった」というのは謝罪になっていないし、これでは怒った方に問題がある印象になる。

→“因为我说的话让你生气了真是很抱歉”,这样的话根本不算道歉,反而让人觉得好像是生气的那方有问题。

 

許してもらおうとする

是为了获得原谅才去道歉

→謝ったと同時に、許しと救済への切符を自動的に手にすることができたと思うのは、謝罪を台無しにする。せっかくの謝罪も、そのあとすぐに許しの要求が続くと、傷ついた側の人がたどるべき感情処理のプロセスを遮ってしまうことになりかねない。

→觉得道歉了,就一定能获得对方的原谅,这样子寻求自身的救赎,那会让对方根本感受不到诚意。就算道了歉,如果后面马上就跟着“请你原谅我吧”,那也会让被伤害的人自身的感情处理系统跟不上应有的顺序,而导致道歉无效。

 

だとしている。また何かにつけ相手に「ごめんなさい」を繰り返すのも、意味のない謝りであって同様にイラつかせることもあるそうだ。

另外如果只是一味说“对不起”这样没有实际内容的抱歉也很容易让对方感到不爽。

 

では一体、どんな謝罪なら不足がないというのか。それは非常に単純だ。

よい謝罪とは「もし」や、「でも」抜きの「ごめんなさい(もしくは同等の語句)」を含む言葉で、それを取り消したりぼやかしたりするような言葉や行動を伴わないものをいう。

那么到底怎么样的道歉才是圆满的道歉呢?答案反而很简单。优秀的道歉就是不需要任何“如果”和“但是”,单纯的“对不起”一句话(或者类似的词),不要去解释以及辩解自己的行为。

 

理由を説明したいあまり「ごめんなさい。でもあの時はあなたが……」みたいなことを言ってしまったり、「不快に思わせてしまったらごめんなさい」と言ったりするのは、実はこれっぽっちも謝罪になっていないのだ。しかし全ての場合にあてはまる、謝罪の公式というものもない。それは謝る相手が変われば聞きたい言葉は違ってくるからだ。しかし、

「もう二度とこのようなことがないようにベストを尽くすと約束します」というのが、謝罪を心に届かせるマジックワードなのかもしれない。

と、ハリエットさんは言う。自分の非をただ認めるのは誰にとっても難しく、言い訳をしたり「謝ったのだから許してほしい」という気持ちになってしまったりしまいがちだ。しかし真の謝罪とは、自分を許してもらうためにするものではないのだ。

 因为太想说明理由最后就把话说成了“对不起。那时候是你……”这种形式,就算原本是想表达“让你感到不快非常抱歉”,也丝毫不能让对方感到歉意。但是话是这么说,却并没有那种能适用于所有场合的公式化的道歉方式。因为对方不同,对方想听的话也不一样。但是《闹别扭的药方》当中说到:

“我承诺,会为了不再犯同样的错误而倾尽全力”,这句话说不定是一句能够把道歉的诚意传达到对方内心深处的魔法话语。

只是单纯承认自己的错误对谁来说都很困难,所以就很容易变成去找借口或者“我都道歉了你就原谅我吧”这样的心情。但是真正的道歉,应该不是为了让自己获得原谅,才去做的。

 

この本は自分が謝る側になった場合だけではなく、謝られる側になったときのイラ立ちとその対処法についても触れている。

另外这本书不光是讲了自己是道歉的一方时该怎么办,也讲述了作为被道歉一方时如果感到不爽的时侯要怎么办。

 

昨今、「謝ったら死ぬのか?」というレベルで絶対に謝罪の言葉を口にしない人がいる。なぜ彼らは謝れないのか。それは自尊心が低いがために自己防衛をしていたり、「本物の男は謝らない」というジェンダーロールに縛られていたり、恥ずかしさが邪魔をしていたりと、さまざまな原因があるとハリエットさんは見ている。そして謝らない人へのアプローチとして、

あなたを傷つけた人と対話を始めるときには、まずは自分を守ることを最優先に考えて欲しい。あなたの求める回答がなされることへの期待値はゼロまで落としておくのが良いだろう。あなたにできるのは真実を話すことだけ。なぜなら、あなたは自分を守るために話す必要があるのだから。

相手がどう打ち返してくるかはあなたにはコントロールできないけれど、あなたは投げるべき球を投げればよいのだ。

とアドバイスする。謝らない人間から、自分の望んだとおりの対応を引き出すことはできない。ならば自分を守るために、真実を話すことに集中することが必要なようだ。

近来,甚至还有让人觉得“你是道歉就会死么?”这种程度的绝对不会把道歉的话说出口的人。为什么他们不肯道歉呢。那或许是因为自尊心过低而自我防御,或许是被“真正的男子汉是不会道歉的”这样的社会刻板印象所束缚,或是因为觉得不好意思而放不下身段,总之哈丽特总结了许多理由。和这类人交往,她建议道:

在开始和伤害你的人对话的时候,首先应该最优先考虑的是如何保护你自身。把“想要得到理想的答案”的期待值降到零会比较好吧。你能做到的只有描述事实,因为你现在是在为了自保而和对方对话。

虽然无法控制对方会如何回话,那只要自己主动抛出该讲的话题就好了。

我们是无法从那些不懂得道歉的人身上得到自己想要的回应的。那么为了保护自己,不如把注意力集中到如何描述事实上。

 

また「怒りから自分を解放するために、許すという方法を取るべき」という思い込みがあるが、相手を許す必要はない。謝罪を受け入れることは許すことではないし、許すことは美徳で、許せないことは精神的に未熟であるということもない。混同されやすいが許すのではなく怒りを手放すことが大事で、許さなくても相手を愛することができる。許しも1かゼロかではなく、グラデーション(70%は許す、といったもの)があると、ハリエットさんは言う。

再有,可能很多人会觉得“为了不再让自己生气,还是原谅对方吧”,但其实完全不必如此。接受对方道歉不等同于要原谅对方,“原谅”本身就是一种美德,而不原谅他人也不代表自己精神不成熟。虽然很容易搞混,但是重要的是让自己不要再去生气而不是原谅这件事本身,就算不原谅对方也并不就是说不再喜欢对方了。哈丽特还说,“原谅”也并不是非黑即白,也有部分原谅(原谅70%之类的)的情况。

 

怒りと許しはセットのように語られ、許しがゴールのように思われるフシがある。しかし決してそうではないということを、本書は教えてくれる。

生气和原谅总是被描绘成正相反的关系,一般也会觉得原谅对方了这件事就算结束了。但这本书教会了我们“绝不是如此”这件事。

 

謝罪は心からシンプルに、そして受け入れる=許すではないのだから、許せなくても謝罪をもらった事実は受け取る。これが謝罪を挟んで対立する関係から、解放される手段と言えそうだ。

道歉要打从心底而简单,就会被人接受。但是接受了却不代表获得了原谅。也就是说,就算不被原谅,道歉本身也可以被接纳。这可以说是把围绕道歉的对立关系给解放出来的手段,这样一想道歉是不是也轻松多了?

 

謝り方はいくつになってから学んでも、決して手遅れということはない。大事な人を失いたくない、大事な人との関係を修復したいなら、今から手に取って読み始めても、きっと間に合うことだろう。

正确的道歉方法,无论什么时候开始学都算不上为时过晚。如果不想失去重要的人、想要修复和重要的人的关系的话,就从现在开始入手本书开始阅读吧,一定还来得及的。

 

 

文=今井 順梨

翻译:妍

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