雨の多い月なのに
なぜ「水無月」と書くのか?
多雨的月份为什么写成「水無月」呢?
「水無月」とは陰暦6月の異称であるが、現在では梅雨の時季に重なるこの月をなぜ「水の無い月」と書くのか、ずっと疑問に思っていた。もちろん陰暦の場合、4、5、6月が夏なので、陰暦6月は一番日差しの強い夏の真っ盛りであるということは知っていた。だが陰暦6月に当たる新暦の7月だって、干ばつの年は別にして、雨がまったく降らないというわけではない。この月だけ「水が無い」という理由がわからなかったのである。
所谓「水無月」是阴历6月的别称,但是我一直有疑问,在这个和梅雨重叠的月份,为什么写成“没有水的月份”呢?当然我知道因为在阴历中,4、5、6月是夏季,所以阴历6月是阳光最强烈的夏天的鼎盛时期。但是,因为阴历的6月是阳历的7月,区别于干旱之年,并非完全不下雨。不知道为什么只有这个月“没有水”。
そこで、『日国』を引いてみると…
于是,查看了《日国》…
〈「な」は「ない」の意に意識されて「無」の字があてられるが、本来は「の」の意で、「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意であろうという〉
と説明されていて、ようやく納得がいった。
〈「な」被认为是「ない」的意思,被写成「無」,但原本是「の」的意思,所以是“水的月”“需要在田中引水的月”的意思,我终于领会了。
この月は畑に水が「無い」ことは確かだが、「無い」ことを意味していたのではなく、畑に水が必要だということを意味した呼び名だったのである。つまり農事と深く関わることばだったわけだ。
虽然说这个月田里的确没有水,但并不意达“没有”的意思,而是表达了田里需要水的这件事。也就是说,应该是和农事紧密相关的语言。
残る疑問はいつごろから「水無月」という表記が生まれたかということである。実はこれには有力な手がかりがある。平安時代後期の和歌の研究書『奥義抄』に「此月(このつき)俄(にわか)にあつくしてことに水泉(すいせん)かれつきたる故にみづなし月と云ふをあやまれり」とあるところから、かなり古くから「水無し月」と理解されていたことがわかる。
剩下的问题就是从何时开始有了「水無月」这种写法。实际上这是有有力的线索的。平安时代后期的和歌的研究书《奥义抄》中的“这个月突然热了,雨水即将到来的缘故,包围着无水月和云”从此处,了解到从很久以前开始「水無し月」就被所大家理解了。
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