一篇发人深省的日本大学毕业致辞:学文学到底有什么用?
卒業・修了セレモニー式辞 毕业·结业典礼致辞   文学部・文学研究科卒業セレモニーで、文学部長・文学研究科長として式辞を読みました。急いで作ったので推敲も十分ではなく、また私の人文学観にはさまざま異論もあるかもしれませんが、とりあえず記録の意味で掲載しておきます。 ===== 式辞 金水 敏 2017年3月22日 在文学院·文学研究专业的毕业典礼上,我作为文学部长·文学研究科长进行了致
https://assets-dev.zhizhuxueyuan.com/es-assets/article/2017/08-04/180604c2aee0023843.jpg
2017-08-04

卒業・修了セレモニー式辞

毕业·结业典礼致辞

 

文学部・文学研究科卒業セレモニーで、文学部長・文学研究科長として式辞を読みました。急いで作ったので推敲も十分ではなく、また私の人文学観にはさまざま異論もあるかもしれませんが、とりあえず記録の意味で掲載しておきます。
=====
式辞

金水 敏

2017年3月22日

在文学院·文学研究专业的毕业典礼上,我作为文学部长·文学研究科长进行了致辞。因为是匆忙写出的稿件,来不及细致地推敲,而且对于本人的人文学观说不定会也会有人存有异议,总之先当是做个记录发表出来。

=====

致辞

金水 敏

2017年3月22日

                                                                                                                                          

 みなさま、本日はご卒業・修了まことにおめでとうございます。これから卒業証書、学位記を受け取られるみなさまにおかれましては、これまで大阪大学で過ごされた日々のことを懐かしみ、またこれから進まれる就職、進学等について希望と不安に胸を膨らませていらっしゃることと思います。

恭喜各位于今日毕业、结业。接下来各位马上就能领取到毕业证以及学位证,想必大家今后会怀念曾在大阪大学中度过的日子,并且对之后的就职、升学怀抱着希望与不安吧。

 

 さて、ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向をふり返ってみますと、人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう。平成25年から26年にかけて、全国国立大学で「ミッションの再定義」ということが行われましたが、文部科学省からの書き込みとして、人文社会科学系の部局に対し、組織再編・縮小を含む整理の方向が示され、「文系切り捨て政策」と騒がれたことは記憶に新しいところです。また産業界関係者の一部から「税金を投入する国立大学では、イノベーションにつながる理系に重点を置き、文系は私学に任せるべき」との発言もなされていると報道されています。

那么先让我们来回顾一下这几年的文学院、文学研究学科的社会动向,相信大家都知道人文学曾有一段很不吃香的危机时期。平成25年(2013年)到26年(2014年),全国国立大学都进行了“重要任务的再定义”,根据文部科学省的文件指示,将人文社会科学系进行组织再编以及缩小,被大家称为“去除文科的政策”。并且还有报道称一些产业界的相关人员发表了言论说:“投入了税金的国立大学应该将跟技术创新相关的理科作为重点,文科就该交给那些私立学校”。

 

 これらの、文系全般に対する社会の風当たりは、むしろ皆さん一人ひとりにとっても身近な体験としてあったのではないでしょうか。すなわち、「なんで文学部に行くの」「文学部って何の役に立つの」等々と言った問いを、友人、親戚、場合によってはご両親というような身近な人々から受けた経験を持つ方は、ここにいらっしゃる皆さんの中にも決して少なくないのではないでしょうか。これを例えば「医学部」「工学部」「法学部」「経済学部」といった学部に置き換えた場合、その答えにくさという点で「文学部」の場合、答えのむずかしさが格段に違うということは明らかです。すなわち、医学部は人が健康で生活できる時間を増やすという目的を持っています。工学部は、便利な機械や道具を開発することで生活の利便性を増すという答え方ができるでしょう。また法学や経済学は、法の下での公正・平等な社会を実現したり、富の適正な再配分を目指したりなど、社会の維持・管理に役立つと答えられます。

这些对文科施加的各种社会压力,大家肯定都亲身经历过吧。被朋友亲戚,甚至有些时候还被父母质问“为什么要选择文学院呢?”“在文学院能学到什么有用的东西?”,相信在场的同学都曾有过这种经历。相较于“医学院”“工学院”“法学院”“经济学院”等学科,对于刚才的问题“文学院”的回答可以说是格外的难了。换而言之,学医学可以回答说是为了让人们都能够健康的生活。学工学可以回答说是为了开发能方便人们生活的机器和道具。还有法学和经济学可以说是为了法制的公正平等,为了富裕能合理的再分配,或是说想要为社会的稳定和管理尽一份力。

 

 では、文学部で学ぶ哲学・史学・文学・芸術学等の学問を学ぶことの意義は、どのように答えたらよいのでしょうか。少なくとも、教員や研究職や出版社等を除いて、多くの皆さんが就かれる職業にも直接の関係を持つ部分は、先に挙げた学部よりはるかに少なそうです。つまり、文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではない、ということです。

那么,对于在文学院学习哲学、史学、文学、艺术的意义要怎样回答才好呢?除了从事教师、研究员,或者在出版社就职以外,大家所学的专业与工作之间的直接联系都没有上面列举的学科多。也就是说,在文学院并不会帮你进行职业训练,而且也与生命和生活的便利以及社会的稳定、管理都没有直接的关系。

 

 この問題について、私は今のところ次のように考えています。文学部で学んだことがらは、皆さんお一人お一人の生活の質と直接関係している、ということです。私たちは、生きている限り、なぜ、何のために生きているのかという問いに直面する時間がかならずやってきます。もう少し具体的に言えば、私たちの時間やお金を何に使うのかという問いにも言い替えられますし、私達の廻りの人々にどのような態度で接し、どのような言葉をかけるのかという問いともつながります。逆に大きな問題に広げれば、日本とは、日本人とは何か、あるいは人間とはどういう存在なのか、という問いにもつながるでしょう。文学部で学ぶ事柄は、これらの「なぜ」「何のために」という問いに答える手がかりを様々に与えてくれるのです。いや、むしろ、問いを見いだし、それについて考える手がかりを与えてくれると言う方がよいでしょう。

关于这个问题,我目前的想法是:在文学院所学的东西跟大家每一个人的生活品质有直接的关系。在我们有限的生命当中,总会有思考人是因为什么而活着的这一问题的时候。再说的具体一点,就是我们的时间和金钱究竟是为了什么而使用;我们应该用怎样的态度来与人相处,应该使用怎样的话语来与人交谈这些问题。将问题放大的话就是思考日本、日本人究竟是什么,或者人类到底是怎样的一个存在。在文学系所学到的,就是为了给上面提出来的所有“为何”“为了什么”予以多种多样的解答线索。不,不如说是,先找出问题,然后再教给你思考这些问题的线索比较合适。

 

 これらの問いには、簡単に与えられる答えはありません。一生かかっても解けないかも知れないし、むしろ何十年、何百年、何千年かかっても解けない問題なのだと言うべきかもしれません。もちろん、こういった問いとは無縁な生活を送ることも、今の日本ではたやすいと言えるかもしれません。美味しい食事、楽しいエンターテイメント、快適な生活環境の中で生活している限り、このような問いはむしろ不要であるようにも見えます。

对于这些问题,并没有一个简单的回答。可能用尽一生的时间也找不到答案,甚至可能花上几十年,几百年,几千年都无法解答。当然,在当今的日本想要过与这些问题无缘的生活也并不难。吃着美食、享受着娱乐,只要生活在这样舒适环境之中,思考这些问题看起来毫无必要。

 

 しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます。今のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます。恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です。その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう。人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです。

但是,我认为学文学真正发挥本领的时刻,是站在人生的分叉路口之时。在今天这个可喜可贺的舞台上,说这个话题可能有些不合时宜,但人生不可能一帆风顺。被恋人甩的时候,工作不顺利的时候,与父母意见不和的时候,与另一半不和睦的时候,自己的孩子不听话的时候,至亲之人离世的时候,孤独地度过晚年的时候,当自己迎来死亡的时候等等。到了那个时候,在文学院中所学到的东西就一定会给予你思考问题的线索。并且不会给你简单的答案。只是让你在思考这些问题的时候能够将其对象化,客观地去捕捉问题。换言之,能从这些问题中解脱获得自由。这也是人类所能拥有的最终极的自由吧。要想作为人类获得自由,只有深入思考所直面的问题。而能够提供头绪的,便是在文学院中所学到的各种各样的知识了。

 

 今申し上げたことが、直ちに皆さんの腑に落ちたかどうかは分かりませんが、文学部の学問は日持ちがする、一生分、あるいはそれより遙かに長い時間効き目が続く、賞味期限が続くということは保証いたします。文学部の学問は、例え企業に就職しても、家庭に入ったとしても、一生続けることができます。お金はあまり要りません。エネルギーもさほど使わないので、エコであるとも言えます。少しの書籍と、考える頭さえあれば、たいてい間に合います。皆様どうぞ、大阪大学文学部・文学研究科で学んだことに誇りを持ち、今後ともすばらしい人生をお過ごしいただきますよう、心からお祈り申し上げます。以上をもちまして、本日の式辞とさせていただきます。

不知道我今日的这番话大家是否赞同,但我向大家保证:文学院的学问保质期很长,它将会在你的一生,或者是比一生更长的时间里发挥它的作用。在文学院所学到的东西,即使你进入了企业就职,或是组建了家庭,它都会伴随你的一生。因为它不需要太多的金钱,能量也不用耗费太多,也可以说它很环保。只要有一些书籍和会思考的头脑就够用了。衷心地祝愿大家能够带着从大阪大学文学院·文学研究科毕业的荣耀,度过一个美好的人生。以上,便是本人今日全部的致辞。

 

文章摘自:SKinsui'blog  

文章翻译:知诸学院 四季

本文为知诸学院原创,转载请注明出处。

 

到底啦!