是「友達」,还是「友だち」?
「友達」か「友だち」か?  是「友達」,还是「友だち」? 「ともだち」という語は,本来「私たち」「君たち」「男たち」などの語と同じように,「とも」に複数の人を表す接尾語「たち」が結びついた語だが,現在では,単数,複数に関係なく用いられ,「ともだちたち」という語も使われている。したがって,「ともだち」という語は,「とも」+ 接尾語「たち」と考えるよりも,「ともだち」で一語であり,「友人」と同義で
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2017-06-26

「友達」か「友だち」か? 

是「友達」,还是「友だち」?


「ともだち」という語は,本来「私たち」「君たち」「男たち」などの語と同じように,「とも」に複数の人を表す接尾語「たち」が結びついた語だが,現在では,単数,複数に関係なく用いられ,「ともだちたち」という語も使われている。したがって,「ともだち」という語は,「とも」+ 接尾語「たち」と考えるよりも,「ともだち」で一語であり,「友人」と同義で用いられているようである。 
【ともだち】这个词语,本来和【私たち】、【君たち】、【男たち】之类的词语一样,是在【とも】后加上表达复数的结尾词【たち】的词语,然而现在使用时跟单数、复数无关,【ともだちたち】这个词也被使用着。因此【ともだち】这个词,与其认为是【とも】+结尾词【たち】,倒不如把【ともだち】看成是一个单词,使用时和【友人】具有相同的意思。


ところで,「ともだち」という語は,戦前の国語辞典ではすべて「友達」という見出しで扱われていたが,昭和23年に告示された「当用漢字音訓表」において,「達」に「タチ」という音が認められなかったために,教科書や,公用文においては「友だち」と表記されるようになった。しかし,昭和48年に告示された「当用漢字音訓表」の付表,続いて昭和56年に告示された「常用漢字表」の付表に「友達」が加えられ,現在では「ともだち」は「友達」と表記することになっている。これは,おそらく前述のように「友達」の「達」の接尾語としての機能が薄らいで,「友人」と同義で扱われることが多くなったためであろう。
可是【ともだち】这个单词,在二战前的国语词典上全部都是以词条标题【友達】出现的,而昭和23年发布的告示《当用汉字音训表》中,由于【達】没有写上【タチ】这个发音,因此在教科书、公文中开始书写为【友だち】。但是在昭和48年发布的告示《当用汉字音训表》的附表中,紧接着昭和56年发布的告示《常用汉字表》的附表中,【友達】被加进去了,现在规定了【ともだち】要书写成【友達】。这可能是因为如前所述【友達】的【達】作为结尾词的功能弱化了,经常被认为和【友人】是相同的意思吧。


しかし,「私たち」「君たち」「男たち」の「たち」のように「複数の人を表す」という本来の接尾語の意味を失っていないものは,平仮名で書くのが穏当であろう。また,複数の友人を表す場合は,話し言葉では「友達たち」が一般的であろうが,文章語では「たち」の重複を嫌い,「友たち」と書き表す場合もある。
但是像【私たち】【君たち】【男たち】这些词中的【たち】,没有失去其本来结尾词的意思,即所说的“表示人的复数”,用平假名书写比较稳妥吧。另外,表达友人复数的时候,在口语中一般使用【友達たち】,在书面语中有【たち】重复之嫌,有时会书写为【友たち】。


『銀のしずく降る降る』の中で,旭川に出てきた「幸恵」が,登別の友達をしのぶ場面では,「幼いころの友たちが,なつかしく思い出されたにちがいない。」とある。
在《银色的水滴落下》中,描述了来到旭川市的【幸惠】怀念在登别市的朋友的场面,“那肯定是怀念年幼时的朋友们,才被想起来。”


参考:「子供」か「子ども」か?
「当用漢字音訓表」で,すでに「供」に「とも」の訓が示されていたが,教育現場では「たち」と同様の観点から「子ども」という表記が一般的であった。しかし,「常用漢字表」の「供」の例欄に「子供」が掲げられたことによって,それ以降「子供」という表記が採られるようになった。

参考:是「子供」,还是「子ども」?
在《当用汉字音训表》中,已经在汉字【供】上面标记了训读【とも】,然而在教育现场,与上面所述的【たち】这个词同样地,过去一般书写为【子ども】,但是后来根据《常用汉字表》中【供】的词例一栏里刊登了【子供】这个词,之后就开始采用【子供】这种书写了。


资料来源:日本教育出版
翻译:知诸学院 akatuki

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