为什么大家都不想结婚?
発光体というものは、太陽の下ではその存在すら誰も気付きません。光は闇の中でこそ輝きを放つものです。自由もまた同様で、不自由でなければ自由を感じられないものです。私たちは制約があると不満やストレスを感じますが、それがあるからこそ自由の獲得への欲求が高まります。逆に言えば、自由にさせられると不満もストレスもない分、自由のために行動するという意欲そのものを失うのです。 所谓的发光体,如果放在阳光下那谁
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2018-01-05

発光体というものは、太陽の下ではその存在すら誰も気付きません。光は闇の中でこそ輝きを放つものです。自由もまた同様で、不自由でなければ自由を感じられないものです。私たちは制約があると不満やストレスを感じますが、それがあるからこそ自由の獲得への欲求が高まります。逆に言えば、自由にさせられると不満もストレスもない分、自由のために行動するという意欲そのものを失うのです。

所谓的发光体,如果放在阳光下那谁都无法察觉到它的存在。光只有在暗处才能闪耀。自由也是一样,只有在不自由的环境中才能感受到自由的存在。我们如果受到制约就会感到不满和压力,但正因为这样我们才会更加想要获得自由。相反,如果我们获得了自由,没有了不满和压力,那么就会失去自由行动的积极性。

結婚にも同じことが言えます。結婚が自由化されると結婚意欲を減退させ、未婚化を推進してしまうのではないか。今回はそんなお話をします。

结婚也是同样。可以自由结婚之后大家对结婚的热情就减退了,不愿意结婚的人越来越多。这就是我们今天的主题。

 

 

結婚の自由化が未婚化を推進している?

婚姻自由加速了未婚化?

未婚化の原因は決してひとつではなく、さまざまな要因が複層的に影響しあって起きています。が、巷(ちまた)で言われているような「未婚化は若い男の草食化」などではないということだけは断言できます。その論拠として男性の交際相手がいた比率の推移をご覧ください。

选择不婚的人越来越多,这是受到了各种各样因素的的影响才导致的结果。但是,在这些原因中绝对不包括大众所说的:“不婚人士越来越多是因为现在草食系男生越来越多了。”作为否定的根据,让我们一起来看看男性的交往对象比率变化表吧。

 

少なくともここ30年間、男の交際率は変わっておらず、時代によって交際率が変化したなんてことは統計上はまったく言えません。むしろ、自発的に恋愛ができる男の割合なんてものはいつも3割にも満たず、7割強の男には交際相手はいなかったんです。最近の若者が「恋愛離れ」しているのではなく、バブル時代に青春を過ごした今50代以上の男性も、肉食系のイメージで見られがちですが、例外ではありません。

至少在这30年内,男性的交往率并没有变。而且,自己主动恋爱的男性比例一直都不满三成,超过七成的男性没有交往对象。并不是最近的年轻人“不愿恋爱”,在泡沫时期经历过青春期、现在已经年过50的男性也是一样。

 

「それはおかしい。かつてはみんな結婚できていたんだから」というご指摘もあるでしょう。確かにそのとおりです。ですが、だからといってかつての男が積極的だったという証明にはなりません。

可能有人认为“这也太奇怪了,原来的大家可是都结婚了。”确实是这样,但这也不能被当做原来的男性比现在的男性更积极的证据。

 

日本はかつて、皆が結婚する皆婚社会でした。国勢調査が始まった1920(大正9)年からのデータを振り返ってみても一貫して生涯未婚率は1990年まで5%以下で推移しています。この驚異的な婚姻率が1875年(明治8年)にはまだ3340万人だった人口を、1967(昭和42)年頃には1億を突破させるほど急成長させた原動力でもあります。しかし、それはいわば国家的な「結婚保護政策」のおかげだったことを認識したほうがいいと思います。

原来的日本社会,几乎所有人都会结婚。从开始人口普查的1930的数据开始回顾,一直到1990年的终身未婚率降低到了5%以下。这让人震惊的结婚率是从1875年开始到1967年,日本人口从3340万人骤增到突破1亿的原动力。只是,那时的结婚率高的主要原因应该还是多亏了国家的“结婚保护政策”。

 

近代日本の婚姻制度を成立させたのは1898(明治31)年に公布された明治民法です。誤解されている方も多いですが、ここで定められた結婚のあり方というのは、それまでの日本人庶民の結婚観とは大きく異なります。時代劇や歴史小説などでは主に武家の話しか出てこないため、すべての日本人が武家様式の結婚生活をしていたと思われがちです。しかし、武家人口は江戸時代の戸籍資料によると、総人口に対してわずか78%のマイノリティです。

近代日本的婚姻制度是在1898年公布的明治民法中成立的。虽然很容易被误解,但当时所制定的结婚方式跟日本平民百姓的结婚观还是有很大的不同。古装剧和历史小说讲述的大多是武士家族的故事,很容易让观众读者产生日本人都过着武士家族式生活的错觉。但其实根据江户时代的户籍资料来看,武士家族的人口仅占当时总人口的7-8%,属于极少数。

 

現在の私たちの祖先のほとんどが農民や町人であったわけで、日本人=武士という考え方は間違いです。当時の庶民たちの結婚は、夫婦別姓であり、ほとんどの夫婦が共働き(銘々稼ぎという)でした。何より、夫婦別財であり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったのです。

我们祖先基本上都是农民和商人,所以日本人=武士的这种想法是不对的。当时的平民们结婚之后夫妻也不会同姓,而且基本上都是夫妻一同工作的。而且,夫妇的财产是分开的,就算是丈夫也不能随便卖掉像是和服这类属于妻子的财产。

 

要するに、明治民法が制定されるまでの日本人庶民の結婚とは、限りなくお互いが精神的にも経済的にも自立したうえでのパートナー的な経済共同体という形に近かったわけです。別の見方をすれば自由でもあり、夫婦の関係は対等でした。

也就是说,在明治民法制定之前,日本的夫妻是能够互相在精神上经济上既独立又互相支持的伙伴,非常接近一种经济共同体的关系。从另一个方面来看这既自由,夫妇关系也很对等。

 

明治民法により妻の経済的自立と自由が奪われることに

被明治民法夺去了经济独立和自由的妻子

 

それが、明治民法により、庶民の結婚も「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになり、主に妻の経済的自立と自由が奪われることになります。夫は外で仕事、妻は家事と育児という夫婦役割分担制もここから「あるべき夫婦の規範」として確立していきます。

明治民法的颁布,将“家制度”“家父长制度”加入到平民结婚当中,主要的影响是将妻子的经济独立和自由剥夺了。丈夫在外工作,妻子在家做家务以及育儿这样的夫妻责任分担制度从此开始,渐渐确立了“夫妻应承担的责任规范”。

 

それにより、女性にとって結婚とは生きるための就職のような位置づけとなり、基本的に結婚をしないという選択肢はありませんでした。そこで大いに機能したのが「お見合い」という社会的なマッチングシステムなのです。実は、これこそが結婚保護政策の最たるものです。

因为这样,对于女性来说结婚就像是为了生活而找的工作一样,所以基本上没有不结婚的这个选项。在这里发挥了很大作用的就是“相亲”这个社会性的匹配系统。

 

お見合いとは、個人の恋愛感情より、家と家という2つの共同体を結びつけるための機能が優先されるものであって、ある面では個人の自由がないと言えます。しかし、むしろ個人最適の選択によらず、強制的な全体最適を目指したシステムだからこそ、皆婚が実現できたともいえます。特に、自分からアプローチできない男にとってこのお見合いシステムというのは神システムだったと言えるでしょう。

相亲,比起个人的恋爱和感情,更大的作用是将两个家庭结合在一起。从某个方面来看可以说是完全没有个人自由的。可是,也正是因为不拘泥于个人情感,而是以合理性为目标的这样一个体系才能让大家都能够结婚。特别是对于没办法主动与女性交往的男性来说,相亲这一体系简直就是神之体系。

 

 

 

職場婚の減少も未婚化に影響

职场结婚的减少也对不婚化有影响

 

もうひとつ忘れてはならないのが職場での出会いによる恋愛結婚です。これは分類上恋愛結婚とされていますが、当時の職場結婚もまた社会的マッチングシステムのひとつでした。お見合いよりも自由度はあったと思いますが、出会いのきっかけとしてお膳立てされていたということは事実です。しかし、この職場での恋愛は今やセクハラ問題と表裏一体。職場結婚は今後も減少していくでしょう。

还有一个不得不说的就是在职场中相遇、恋爱结婚的模式。在大的分类上属于恋爱结婚,但是在当时,职场结婚也属于社会性的匹配系统之一。虽然自由度比相亲结婚要高,但相遇的契机还是事先就安排好的这一点也是事实。只是,这种职场恋爱现在已经和性骚扰混为一谈了。职场结婚今后也会越来越少的吧。

 

お見合い結婚から恋愛結婚へと移行したことで明らかに変化したことがもうひとつあります。それは離婚の増加です。

从相亲结婚到恋爱结婚的转变还有一个非常明显的变化,那就是离婚的人越来越多了。

 

 

恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすい

恋爱结婚的夫妻更容易离婚

 

 

もちろん「恋愛結婚が増えると離婚が増える」という因果関係までは断定できませんが、お見合いで結婚した夫婦より恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすいというのは興味深いデータです。

虽然不能断定“恋爱结婚越来越多,所以离婚自然也会增多”,但是,这个数据也表明比起相亲结婚的夫妻,恋爱结婚的夫妻更容易离婚。

 

このように、明治民法を起点とした「結婚保護政策」は、結果として婚姻数や出生数の増加に加え、離婚の減少をも生みだしたと言っていいと思います。自己選択権のないお見合いや妻を家に縛り付ける家制度、家族のために粉骨砕身働くことが父親・男としての責務という社会規範など、個人レベルで考えるならば不自由な制約が多かったのかもしれませんが、こと結婚の促進に関しては奏功したと言えるでしょう。

像这样,以明治民法为起点的《结婚保护政策》让结婚的人数和出生人数都得到增加的同时,离婚人数也在减少。自己没有选择权的相亲结婚,会将妻子束缚在家里,也使丈夫赚钱养家的压力过大,这一制度在现在来看很不自由,但是从增加结婚率这一点上来说功不可没。

 

 

「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」とは夏目漱石の言葉です。現代、恋愛や結婚に対して社会的な制約は何もない自由であるにもかかわらず未婚化が進むのは、むしろ自由であるがゆえの不自由さを感じているからではないでしょうか。

夏目漱石说过我们期望自由便获得了。但在得到自由之后又苦于不自由。现代社会,对于恋爱结婚没有什么社会性的制约,可不结婚的人还是越来越多,这应该可以说是从自由中生出的不自由吧。

 

ただ、だからといって国家による結婚保護政策に戻すことは非現実的です。皆婚時代を否定はしませんが、冷静に考えれば国民全員が結婚していた状態こそ異常だと考えます。非婚の選択も生涯無子の選択も尊重されるべきですし、一方で結婚したいけどできないという人たちのサポートも必要です。とはいえ、恋愛強者は男女とも3割しかいません。かつてのお見合いや職場縁に代わる新しい出会いのお膳立ての仕組みが必須なのかもしれません。

不过即使如此,国家重拾结婚保护政策也是不现实的。冷静思考会发现,所有人都能结婚的社会才不正常。我们应该尊重不婚不育的选择,也需要支持那些想结婚的人。虽然这么说,男女情场高手也只占3成而已。现在必须要做的,就是制造一些能够代替相亲和职场邂逅的,新的结缘机会吧。

 

 

文章来源:livedoor NEWS  

文章翻译:知诸学院 四季

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到底啦!